【 第4章 用字「飛鳥」の由来 】

 用字「飛鳥」は従来地名「アスカ」の一表記として認識されてきた。
この「飛鳥」が何に由来するかという問題に関心をもつ人は多い。
なぜ「飛鳥」を「アスカ」と読むのか、という素朴な疑問から発して「飛鳥」の由来を考えるに至るのだろう。
 主な説を挙げる。

1. 枕詞「とぶとり」由来説
 「飛鳥」の表記は「あすか」にかかる枕詞「飛ぶ鳥の」から。
これは、『大辞林 第三版』2006年三省堂にみるものであるが、この類の説を「枕詞由来説」としておく。枕詞由来説は多くの辞書などに採用されているためか、広く流布し汚染源となっている。
 しかし枕詞「トブトリ」がアスカに懸かる肝心の理由が明確でない。これは和歌の研究課題であり、古くから多くの国文学者などが挑戦してきた。『枕詞の研究と釈義』Nには契沖・本居宣長ら13人の説を記載している。例えば、「飛ぶ鳥は脚をかがめて飛ぶ。あしかがみからアスカにかかる」「鳥は朝飛び立つ。飛ぶ鳥のアサからアスカにかかる」など類音を介してアスカと結びつける駄洒落的なものが多いが、納得できるものはない。
 この枕詞由来説は1999年飛鳥池遺蹟南地区から出土した「葦見田五十戸 飛鳥部身〓」荷札木簡によって完全に否定できると私は考える。
『万葉集』で枕詞「飛鳥トブトリ」の用例は、01/0078・02/0194・02/0196・16/3791の4首のみである。4首のうち作歌年代が最古のものは、川島皇子が死去した時(691年、持統5)の挽歌「飛鳥 明日香乃河之 上瀬尓 生玉藻者 (後略)」(02/0194)である。
一方、第3章で述べたように「五十戸」の記載がある木簡は遅くとも浄御原令が頒布された689年(持統3)以前の作成とみられる。つまり、枕詞「飛ぶ鳥」の成立以前に表記「飛鳥」が存在していたのである。
国文学も科学であるから、枕詞由来説に矛盾する新知見が得られたときは速やかに再検討すべきである。

2. 宮号由来説
 『日本書紀』によれば天武朝は686年に年号を祥瑞である朱鳥に改元し、宮を飛鳥浄御原宮と名付けた。
契沖(『万葉代匠記』)および本居宣長(『古事記伝』・『国号考』)は、宮名の「飛鳥浄御原宮」は瑞鳥出現に因む命名であるから「とぶとりの浄御原宮」と読むべきであり、これからアスカにかかる枕詞「飛鳥とぶとり」が発生した、と述べている

3. 渡り鳥関連説
 鳥越憲三郎氏Oらは飛鳥を渡り鳥とみて渡来人を連想し、渡来人の多いアスカと結びつける説を提唱している。
 安宿説にも同様の部分があり、webの『明日香村キッズ』には「渡来人が流浪の旅の末、安宿あんじゅう(アンスク→アスカ)の地に落ち着いた。
流浪の旅はあたかも飛ぶ鳥の移動のようなもので、アスカの地に「飛ぶ鳥」の枕詞を冠せたという説」と説明している。

4.アスカに鳥が多かったという説
 古代史専門学者の著書に散見する。
 狭いアスカ(第2章で述べたアスカの範囲)であるが、周辺の地域に比べて鳥が格段に多かったのだろうか。

 以上が主な説であるが、いずれも素直に納得できる説明ではないと考える。
これらは「飛鳥」を (flying)bird に当てた正訓とみているが、私は発想を転換し、「飛鳥」を「とぶとり」の借訓(当て字)と考えた。
そして、1986年「塔寺説」を発表したP。
今こそ当て字の使用は極力排除されているが、昔は借訓字は普通だった。
西鶴の『日本永代蔵』をみても、代々=橙、木薬=生薬、六借=難し、形気=気質、おそろ敷=おそろしく、かせげ共=ども、のように当て字が多用されている。
古代でも当て字はしばしば見られ、万葉集の例では「山常庭村山有等(大和には群山あれど)万01/0002」や「見鶴鴨(見つるかも)万01/0081」がある。


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