【 第8章 おわりに 】

 仏教伝来に伴い、塔と寺の古代朝鮮語が口承的に受容され、転訛・借訓と連想によって「塔・寺」に当たる用語「トブトリ」と用字「飛鳥」が発生した。
塔・寺は飛鳥地域(狭義のアスカ及び周辺地域)のシンボルであった。
「飛鳥」はその塔・寺に由来する二字の嘉字であり、狭義のアスカの範囲に拘束されない。
 緊迫したアジア情勢によって飛鳥時代の朝廷は強い国家意識を持つようになり、国家制度の整備を高める一方、国家の体面を主目的として宮都名に「飛鳥」を採用したと考える。ただし、対外的には「飛鳥」は中国音で読まれたであろう。
宮都名「飛鳥」の成立下限が持統元年(687)から持統3年(689)であることはほぼ確実である。その上限は推古朝と考える。  
 用字「飛鳥」が公的に採用されることにより、地名「アスカ」と並立する。その結果「飛鳥」と「アスカ」は互いに連結した。
すなわち、「アスカ」を「飛鳥」と表記し、「飛鳥」を「アスカ」と読むようになる
 「飛鳥」は主に対外的および公的文書に使用され、『古事記』『日本書紀』の編纂時にはアスカを飛鳥と統一的に表記するよう朝廷から命令が下されたであろう。
しかし一般には「アスカ」が通用した。
 宮都名「飛鳥」はその成立動機において、「日本」「天皇」の称号と軌を一にするものと考える。
 この論文で「飛鳥」の枕詞由来説を否定し、飛鳥寺出土「飛」文字瓦、豊浦の地名由来にも言及した。 

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付図2