【 第2章 二つのアスカ 】

 「アスカ」という地名は門脇禎二氏によれば全国各地にみられる@。
「アスカ」が仮に「川内」のようにありふれた自然地名であれば、各地に独立して発生しても不思議ではないが、各地のアスカについて一元的な由来は知られていない。
地名は移動や伝播、転用、模倣などによって別の地域に同一地名を生じ得る。このことは考慮に入れておかなければならない。
 古代史料に遺る地名「アスカ」に限っていえば、いわゆる「河内アスカ(河内飛鳥)」と「大和アスカ(大和飛鳥)」の二つであろう。
この二つのアスカの地名は関連があるのだろうか。
河内飛鳥は古くから二上山周辺のサヌカイト・凝灰岩などの生産と流通の拠点であり、また河内と大和を結ぶ道の要所であることを考えると、歴史的には大和飛鳥より先に開発されたと思う。
それ故に、河内飛鳥で発生した地名「アスカ」が大和飛鳥に伝播したと考えたい。

●大和アスカの範囲

 飛鳥時代の地名「アスカ」の地域は岸俊男氏の論文A以来、岡本宮・板蓋宮・川原宮・後岡本宮・浄御原宮を含む香具山以南、橘寺以北の主として飛鳥川右岸一帯とされていた。
しかし雷丘東方遺蹟の発掘で昭和62年(1987)に「小治田宮」墨書土器が発見されたことと、古い山田道の調査によって、岸説の見直しが迫られた。
 そこで現在、飛鳥時代のアスカは北は飛鳥寺北面大垣に沿う道路(古山田道)までB、西はおおむね飛鳥川まで、南はミハ山まで、東は飛鳥岡までC、の狭い地域と考えられるようになった。
およそ現在の奈良県高市郡明日香村の大字・飛鳥と大字・岡を併せた地域である。
 ここで注意すべきは、地名の範囲は時代によって変わることがあるという点である。
また、飛鳥時代であっても「アスカ」と「飛鳥」の範囲の認識に違いがあってよいと私は考えている。これについては後述する。
 この論文で、「飛鳥地域」とは上記の大和アスカとその周辺地域を含む地域を指すことにする。

 参考までに、19世紀以降にみられる地名「飛鳥」の範囲の変遷を示す。
1889年飛鳥村(旧)、豊浦村、雷村、小山村、奥山村、八釣村、東山村、小原村の8村が合併し飛鳥村(新)が成立。なお、現在の大字岡や島庄は高市村に属した。
1956年飛鳥村(新)・阪合村・高市村の3村が合併し現在の明日香村が成立

●河内アスカ

この論文では山尾幸久氏の示す狭義の河内アスカDを対象とする。
すなわち、当麻道から大坂道が分岐する辺りを指す。およそ現在の羽曳野市飛鳥の地域である。


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